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命の警告 ― 急性膵炎を経験して気づいた健康の大切さ

酒飲み筋トレマニア

ランニング歴約30年。筋トレ歴&飲酒歴約25年。 無類の焼酎好きで、大体2~3日で1升を空けるペース。 酒を「浴びる」程飲みつつ、トレーニングを定期的にすることで健康状態をどれだけ維持できるか、自らの体で実験中。 1日1~2食(朝食は食べません。)

こんな方におすすめ

  • 夜の飲酒習慣をやめたいがやめられない人
  • 「健康診断で異常なし」でもなんとなく体調が悪い人
  • 最近、胃や腹部に重さを感じる人

去年の秋、僕の人生の歯車は、ある朝を境にガラガラと音を立てて狂い始めました。
それは、まさに突然の出来事でした。前日まで普通に食事をして、普通に寝て、翌朝目が覚めたら、
なぜか体の中がざわざわして、胃のあたりが重いような感覚。
最初はただの胃もたれかと思っていました。

でも、その日から、僕の体は確実に何かを訴え始めていたんです。
朝起きて吐き気、胃の奥がキリキリと痛む。
動こうにも力が入らず、仕事に行っても集中できない。
“たまに起こる不調”が“当たり前”になっていくことに、
自分でも気づかないふりをしていました。

しかし、その「見て見ぬふり」が、最終的に“命の警告”に変わるまで、
そう時間はかかりませんでした。


違和感の積み重ね ― 「たかが胃痛」が「膵炎」になるまで

僕が最初に異変を感じたのは、2024年10月の中頃でした。
お酒を飲むのが習慣化していて、毎晩晩酌をするのが当たり前。
仕事のストレスを酒で流す、そんな日々でした。

朝起きると胃がムカムカして、時々吐き気をもよおすこともありました。
でも、「二日酔いだろう」「寝不足かな」くらいにしか考えていませんでした。
ただ、その不調は月に1度、2度と頻度を増していきました。

やがて、胃の不快感が“痛み”に変わり、腹部全体が熱を持つようになり、
夜になると体を横にしても痛みが消えない。
日中の仕事中にも、内臓がギュルギュルと音を立てて動いているような違和感が続きました。

今思えば、あの時点で病院に行っていれば、
もっと早く膵臓の異常を見つけられたかもしれません。
でも、当時の僕は「少し休めば治る」「市販薬で何とかなる」と思い込み、
本気で体の声を聞こうとはしていなかったんです。


限界を超えた朝 ― 痛みと恐怖の中で

11月の末、忘れもしません。
その日は寒い冬の朝で、まだ薄暗い時間に目が覚めた瞬間、
腹の奥からズキッとした痛みが走りました。
最初は“お腹を冷やしたかな”程度に思ったんですが、
時間が経つにつれて痛みがどんどん強くなっていく。

立ち上がろうとしたら、冷や汗が全身から噴き出し、
吐き気と目まいでその場にしゃがみ込んでしまいました。
時計を見るとまだ朝7時。
仕事に行く準備をしなければと思いながらも、
体が言うことをきかない。

仕方なく会社に「今日は休みます」と連絡を入れたものの、
横になっても痛みが治まらず、
「これはただの胃炎じゃない」と確信しました。

「病院に行こう」と決めたのですが、
問題は“行けない”ということでした。
僕が住んでいたのは島で、病院に行くには船に乗らなければなりません。
便は1時間に1本、下手をすれば半日1便ということもある。
もし船に乗り遅れたら、その日はもう病院に行けない。

痛みと吐き気に耐えながら必死で船着場まで行き、
なんとか11時の便に間に合いました。
でも、乗船中の1時間が地獄でした。
船の揺れが腹部を刺激し、吐き気が襲い、
僕はトイレに駆け込み、床に倒れ込むようにしてうずくまりました。

「このままここで死ぬかもしれない」
そんな不安が頭をよぎりました。


病院へ ― 告げられた「膵臓」の異常

なんとか港に着き、当時付き合っていた女性が車で迎えに来てくれました。
彼女に支えられながら病院へ駆け込み、
すぐに点滴と血液検査を受けました。

医師が血液検査の結果を見ながら、眉をひそめてこう言いました。
「膵臓の数値がかなり高いですね」
そして続けて、「膵臓がんの可能性もゼロではない」と。

その言葉を聞いた瞬間、頭の中が真っ白になりました。
膵臓という臓器は、普段ほとんど意識しません。
でも、機能が低下すれば、命に関わる重大な臓器です。

後日、胃カメラとMRI検査を受け、
最終的には「急性膵炎」という診断が下りました。
幸い、膵臓がんではありませんでしたが、
医師からは「このまま飲酒を続けたら命に関わる」と強く忠告を受けました。

それでも、当時の僕は正直、実感が薄かった。
命の危機に直面しているのに、どこか現実感がなかったんです。
けれども、家に帰ってベッドで横になり、
痛みが少しずつ引いていく中で「もう二度とこんな思いはしたくない」と強く思いました。


生活の転換 ― 島を離れ、街で再スタート

退院後、僕は生活環境を大きく変える決断をしました。
それまで住んでいた島は、自然は豊かでしたが、
人間関係が密すぎて、どこへ行っても顔見知り。
人との距離が近すぎて、かえって息苦しさを感じていました。

買い物も病院も遠く、天候次第では船が欠航することもある。
そんな“便利さのない暮らし”は、知らず知らずのうちにストレスになっていたのです。

「この環境では心も体も休まらない」
そう思い、街に戻る決断をしました。

街では、病院もコンビニも近く、必要なときにすぐ動ける。
仕事も“歩く警備業務”を選び、
毎日平均1万5千歩以上歩くようになりました。

その結果、体重は70kgから一気に63kgへ。
体脂肪が減ると同時に、体が軽くなり、頭も冴える。
そして、あの“重たい内臓の違和感”が嘘のように消えました。


膵臓を守る生活 ― 習慣の積み重ねが命を守る

膵炎をきっかけに、僕は生き方を根本から変えました。
それまでの僕は、
「多少無理しても大丈夫」「寝れば治る」と思っていました。
でもそれは幻想です。

今では、1日のリズムをしっかり作り、
朝は軽いストレッチ、昼は歩いて血流を促し、夜は早めに寝る。
特に大切にしているのは「食べ方」です。

膵臓は、脂っこい食事や糖分の摂りすぎで簡単に負担がかかります。
なので、今は

  • 揚げ物を避ける

  • 食事は腹八分目

  • 食後3時間以内に寝ない

  • アルコールは週2回まで
    というルールを自分に課しています。

加えて、腸内環境を整えるために納豆・ヨーグルト・味噌汁を毎日摂取。
水分も1日2リットルを目安に飲むようにしています。

そして、もう一つの大きな変化は「マインド」です。
以前は“結果を急ぐタイプ”でしたが、今は“続けること”を重視しています。
健康は1日で作れない。
でも、毎日の小さな積み重ねが、確実に体を変えていくんです。


膵炎が教えてくれた「生き方の本質」

この病気を通して学んだのは、
「健康であることがすべての土台」だということです。
どれだけお金を稼いでも、どれだけ夢を語っても、
体が動かなくなれば、何もできない。

そして、体調を崩したとき、誰が助けてくれるかも分かります。
あの時、僕を病院まで連れて行ってくれた女性には本当に感謝しています。
あの支えがなければ、もしかしたら今ここにいなかったかもしれません。

また、膵炎は「ストレスの病気」とも言われます。
責任感が強く、休むことを“怠け”と感じてしまう人ほど、
気づかないうちに膵臓を酷使していることがあります。
僕もまさにそのタイプでした。

今では、疲れたときは迷わず休み、
ストレスをため込まずに“逃げる”選択をするようになりました。
逃げることは弱さではなく、長く生きるための戦略です。


まとめ

病気というのは、突然やってきます。
でも、本当は突然ではない。
毎日の生活の中で、少しずつ少しずつ積み重なった“無理”が、
ある日、限界を超えるだけなんです。

急性膵炎になってから1年。
今、僕は元気です。
でも、その裏には「二度と同じ失敗は繰り返さない」という覚悟があります。

運動・食事・睡眠・環境。
どれも特別なことではありません。
ただ、「やるか、やらないか」。
それだけの違いで、人生の方向は大きく変わります。

この体験を通して感じたのは、
健康こそが最大の“資産”であり、
それを守るのは自分しかいないということです。

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