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「来ても何もできない」と言われた夜に、痛みより残ったもの

酒飲み筋トレマニア

ランニング歴約30年。筋トレ歴&飲酒歴約25年。 無類の焼酎好きで、大体2~3日で1升を空けるペース。 酒を「浴びる」程飲みつつ、トレーニングを定期的にすることで健康状態をどれだけ維持できるか、自らの体で実験中。 1日1~2食(朝食は食べません。)

こんな方におすすめ

  • 体調不良のとき、医療機関に不安や違和感を覚えたことがある人
  • 正論は正しいけれど、どこか納得できなかった体験を抱えている人
  • 医療の是非ではなく、「人としての対応」に引っかかりを感じたことがある人

先日、急性胃炎になった。
原因については、正直なところ自分でも思い当たる節がいくつもあった。

少量ながら続いていたお酒。
職場で必要以上に感じていたストレス。
急激な冷え込みの中、外で立ち続ける仕事環境。
室内と屋外を何度も行き来する気温差。

どれか一つではなく、すべてが重なっていた。
だから、体調を崩したこと自体には、そこまで驚きはなかった。

ただ、想定外だったのは、その後の経験だった。
痛みが引かず、不安な中で夜間診療に電話をしたときの、医師の対応。
医学的には正しい判断だったのかもしれない。
実際、翌日には症状は楽になった。

それでも、心に強く残ったものがある。
それは、体調不良そのものよりも、「人として扱われていない」と感じた感覚だった。

この記事は、医療を否定したい話ではない。
体調を崩した一人の人間が、夜に感じた違和感についての記録である。

なぜ急性胃炎になったのかは、自分でも分かっていた

正直に言えば、急性胃炎になった原因については、まったく心当たりがなかったわけではない。
むしろ、「そりゃ体もおかしくなるよな」と、自分で自分に納得してしまうくらい、要因ははっきりしていた。

まず、お酒。量としては決して多くない。ただ、完全にやめていたわけでもない。少しずつ、だらだらと飲む習慣が続いていた。胃にとっては、量よりも「継続」のほうが効いてくるという話もあるが、まさにその状態だったと思う。

次にストレス。職場で必要以上にストレスを感じている、という自覚があった。誰かに強く怒鳴られるわけでも、明確なトラブルがあるわけでもない。ただ、「常に気を張っている」「気が抜けない」状態が続いていた。こういうストレスは、数値化も見えにくさもある分、気づいたときには体に溜まり切っている。

さらに、急激な寒さ。季節が一気に変わり、気温が落ちた。今の仕事は外にいる時間が長く、立ちっぱなしになることも多い。寒さにさらされながら動けず、体が冷え切る。そこから室内に入り、また外に出る。気温差を何度も往復する生活は、想像以上に体に負担をかける。

こうした要素が、単体ではなく同時に重なっていた。
酒、ストレス、寒さ、外仕事、気温差。
どれか一つなら耐えられても、全部が重なれば、胃が先に悲鳴を上げても不思議ではない。

だから、急性胃炎と聞いたとき、驚きよりも「やっぱりか」という感覚のほうが強かった。問題は、そこから先だった。


痛みが引かず、夜間診療に頼ろうとした理由

痛みが出始めた当初は、「そのうち落ち着くだろう」と思っていた。これまでにも胃の不調を感じたことはあったし、少し休めば治るだろう、という甘さもあった。

しかし、その夜は違った。
時間が経っても痛みが引かない。むしろ、波のように強くなったり弱くなったりを繰り返しながら、確実に存在感を主張してくる。横になっても楽にならない。体勢を変えても変わらない。ただ、痛みだけがそこに居座り続ける。

このとき自分が求めていたのは、「今すぐ治してほしい」という魔法のような解決ではなかった。
本音を言えば、「これは様子見でいいのか」「危険な状態ではないのか」を誰かに判断してほしかっただけだ。

夜間診療に電話をかけるという行為は、決して軽いものではない。救急車を呼ぶほどではない。でも、朝まで我慢するには不安が強い。その中間にある、最後の選択肢。
だからこそ、そこには「専門家に話を聞いてもらえる」という安心感を、どこかで期待していた。

痛みと同時にあったのは、不安だった。
この痛みは普通なのか。
悪化するものではないのか。
今、何をすべきなのか。

その答えを求めて、夜間診療に電話をした。


電話口で返ってきたのは、想像以上に冷たい対応だった

電話はすぐにつながった。そこまでは良かった。
症状を説明し、胃の痛みが続いていること、我慢が難しいことを伝えた。

しかし、返ってきた言葉は驚くほど淡々としていた。
「今来ても、こちらでできることはありません」
ほぼそれだけだった。

追加の質問もほとんどない。
痛みの強さ、継続時間、不安の有無。
そういった確認もなく、「来ても意味がない」という一点張り。

忙しいのは分かる。夜間診療である以上、命に関わるケースが優先されるのも理解できる。それでも、こちらは「不安な人間」として電話をしている。
にもかかわらず、心配する様子も、寄り添う言葉も、一切感じられなかった。

その瞬間、ふと頭に浮かんだのは、「あ、俺はいま“処理対象”なんだな」という感覚だった。
患者ではなく、案件。
人ではなく、判断対象。

医師の判断が間違っているとは、その時点では思わなかった。ただ、態度の冷たさが、痛みとは別の形で胸に残った。


結果的に医者の言った通り、翌日には楽になった

結局、その夜は痛みに耐えながら過ごすしかなかった。
眠れたかどうかも曖昧なまま、朝を迎えた。

そして、皮肉なことに、翌日になると症状は確かに楽になっていた。
完全に消えたわけではないが、前日のような激しい痛みはなくなっていた。

医学的には、夜間診療で言われた判断は「正しかった」のだと思う。
急性胃炎であれば、時間経過とともに改善するケースも多い。結果だけを見れば、医師の言葉通りだった。

だからこそ、余計に複雑な気持ちになった。
「正しかったから、あの対応でよかったのか?」
そう問われると、どうしても首を縦には振れなかった。

判断の正しさと、納得感は別物だ。
治ったからといって、あの夜の不安や孤独感が消えるわけではない。


それでも残ったのは、「人として扱われていない」という感覚

体調が回復したあとも、心に引っかかり続けたのは、病気そのものではなかった。
あの電話口で感じた、「突き放された感覚」だった。

医療現場が過酷であることは分かっている。
人手不足、時間不足、責任の重さ。理屈では理解できる。

それでも、体調を崩し、不安な状態にある人間に対して、「何もできないから来るな」という伝え方しかできないのだとしたら、それはあまりにも冷たい。

治療ができなくてもいい。
薬を出せなくてもいい。
ただ、「今は様子を見て大丈夫」「こうなったらまた連絡してください」
その一言があるかないかで、受け取る側の気持ちはまったく違う。

この経験で強く感じたのは、医療の正解と、人間としての安心は、必ずしも一致しないということだった。


体調を崩したとき、人は「正しさ」より「安心」を求めている

人は、元気なときほど合理的には考えられない。
体調を崩しているとき、人が一番求めているのは「正論」ではなく、「安心」だ。

今回の経験で、それを痛感した。
結果論では正しかった判断でも、その過程で人の気持ちが置き去りにされていたら、後味は悪いままだ。

これは医師個人を責めたい話ではない。
むしろ、そういう対応を生み出してしまう医療の構造そのものに、違和感を覚えたという話だ。

体調を崩したとき、人は弱くなる。
その弱さに、ほんの少し手を伸ばしてくれる存在がいるかどうか。
それだけで、耐えられる夜は確実に増える。

この経験は、急性胃炎よりも、そういうことを強く考えさせられた出来事だった。

まとめ

今回の経験を通して強く感じたのは、
医療の「正しさ」と、人が求める「安心」は、必ずしも一致しないということだった。

結果だけを見れば、夜間診療で言われた判断は正しかった。
実際、翌日には痛みは軽減し、深刻な事態にはならなかった。
医学的には、何も間違っていなかったのだと思う。

それでも、あの夜の不安や孤独感は消えなかった。
体調を崩し、判断力が落ちている状態で、
「来ても何もできない」と突き放されるように言われたときの感覚は、今もはっきり覚えている。

治療ができなくてもいい。
薬を出せなくてもいい。
ただ、「大丈夫ですよ」「こうなったらまた連絡してください」
その一言があるかどうかで、人の受け取り方は大きく変わる。

これは医師個人を責める話ではない。
そうした対応が当たり前になってしまう医療の構造と、
そこに取り残される「弱った側の人間」の話だ。

体調を崩したとき、人は正論よりも安心を求めている。
そのことを、急性胃炎という出来事を通して、痛いほど実感した。

 

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